なんか解せない

最近あったこと。
保育園のクラスの係り決めで、誰もやりたくないのがクラス役員だったりする。
まぁ誰でも面倒なことならやりたくないでしょう。
我が子への愛情抜きにして。
愛情ある=なんでもやるじゃないし。
そのクラス役員を含め、係りを決める保護者会があった。
ウチは参加出来なかったのだが、当日の夕方、現在のクラス役員から電話が。。。
カミサンが出たのだけど、役員が言うには

「お宅を含めて、N人しかやれる人がいません。だからやって」

そこで、だったら抽選にしませんか?
と言ったところ

「わたしは、忙しいので抽選に立ち会いたくない」
「兎に角、お宅がやるしかない」

と言うので、全く意味不明なことを一方的に言われましたが、
ここは大人になって抽選は自分達だけでやります。
各家庭への連絡は役員がやってください。
と言いました。
ここまでは多分とてもシンプルだと思います。
しかし、上記のやりとりが30分ほど続きました。
カミサンの話によると、シンプルに話してるのに

「でも」「でも」

を繰り返し、全く人の話を聞かない状態だったと。

まるで生保レディに保険の適用を電話して
全然、人の話を聞かない状態に似ています。

その後、数日経つと、抽選対象になるのは、N人だけでないことが
発覚しました。

え?ウソついてたの?

さらに抽選対象の人数は増え、
その後、役員決めは「抽選」の方向で動いて行った。

さらに数日経ち、よくわからんが、やってもいいよという人が
登場し、役員が決まったようです。
その後、カミサンが送り迎えでその役員を見かけたので
遺恨が残ると嫌なので、「役員の件はいろいろすみませんでした」
と言ったら

「あーはいはい」

とツッケンドンに言われたそうです。
普通「いえいえ、こちらもすみませんでした」ぐらい言うもんだろうと。
「あーはいはい」ぢゃねーよ!

さらに数日経ち、その役員が、クラスのママさん達に以下のような内容の
メールをブロードキャスト。

保護者会当日、体調が悪かったんです。
なので電話でキツイ言い方をしてしまいました。
けど、「心ある人の支えの中でぇ」役員が決まりました。
自分は今まで、子供は身体が育てばいいと思っていましたが、
今回の1件で、困ってる人を助ける心ある子供に育って欲しいと
思うようになりました。

だそうです。

ハァ?
ウチはただシンプルに「抽選」をお願いしただけなんですけどねぇ。
困ったのは自分の不始末で、それを後付けで体調不良にし、
役員の決定がこじれた事を、お願いしても心ある人ぢゃなかった。
子供は心ある人になって欲しい。
自分のミスを正当化するために、他人の人格否定ですか?

心あるなら、次も自分でやれよ
結局、他人に助けてもらって、他人のせいにして他責

話の長い人は論理的じゃないらしいけど、メールが長いのも
論理的じゃないのだろう。

これを支離滅裂と思うのは自分だけでしょうか?
策士、策に溺れるの典型だと思うんですが。
ポイントは以下にあります。

1.言ってることがウソ。
2.ウチがやらなくてはいけない理由が明確でない。
3.抽選の方向に行ったのに、抽選じゃないの?
4.体調不良って、後付けでいくらでも言える。
5.自分のミスを正当化するために、他人の人格否定。
6.心あるなら、もう一回自分がやれば?
7.他人まかせの他責表現

なんかでも、言いたいこと言ったモン勝ちの感も否めないなぁ。
先に言ったモン勝ち、声の大きいモン勝ちみたいな。
ここまで計算してたら本当に策士なんだろうけど。

とりあえず書くだけ書いてスッキリしたけど、

まぁ今後の関わり方要注意ってことでマークしておきます。
こんなのよりもクソみたいなヤンキーいっぱいいますからね。
まぁ策をめぐらすことがクソヤンキーよりもいいか悪いか微妙だけど。